ゲノム編集食品が登場。その安全性は?[食の安全と健康:第10回 文・松永和紀]
公開日: 2021年10月25日
私たちの素朴な疑問
Q.ニュースで「ゲノム編集食品」という言葉を聞きますが、安全なのでしょうか?
A.現在実用化されているゲノム編集技術による食品は、従来食品と同等に安全と考えられていますが、国への届出が必要です。
新しい技術、「ゲノム編集」によって品種改良された食品が登場しました。機能性成分ギャバ(GABA)の多いトマトや、肉厚となり可食部が増量されたマダイです。でも、「遺伝子をいじっているなんて、なんだか心配」という声も聞こえてきます。どのような技術なのか、安全性は守られるのか、どんな食品が研究開発されているのか、2回にわたって解説しましょう。
DNAの塩基配列を変えて性質を改良する
生物は、細胞の中にゲノムと呼ばれる遺伝情報を持っています。DNAという二重らせん状の化学物質でできており、塩基というものを多数含んでいます。塩基はATGCの4種類があり、DNAにおけるその並び方(配列)がすなわち遺伝情報。ヒトのDNAには約60億の塩基対があり、イネは約4億対を持っています。
長いDNAのところどころが「遺伝子」で、その塩基配列を基にして体内でたんぱく質が作られ、生き物の形や色、大きさなど固有の性質が決まります。ヒトの遺伝子数は2万1000個、イネの遺伝子は3万2000個と推定されています。
品種改良は、この塩基配列を変更することにより遺伝子の働きを変えて、よい性質を持つ品種にするもの。「遺伝子をいじるのはイヤ」とよく聞きますが、昔から行われてきたすべての品種改良が、遺伝子をいじっているのです。 大昔から行われてきた「選抜育種」は、自然の放射線や紫外線などによりゲノムのDNAが切れて塩基配列が変わり遺伝子が変異してよい性質を持つようになったものを、選び出して育てます。「交配育種」は、ヒトがおしべとめしべを掛け合わせて塩基配列を大幅に組み換えるもので、18世紀にはじまり20世紀に入って本格化しました。また、強い放射線をかけたり化学物質にさらしたりしてゲノムを切り遺伝子を変異させる「突然変異育種」も行われるようになりました。
ゲノム編集なら短期間で新品種に
ただし、交配育種や突然変異育種は、変わって欲しくない遺伝子まで変異していることも多く、よい系統を選び出し都合の悪い性質はとり除き求めていた品種にするまでに、長い時間と栽培の手間、コストもかかりました。一方、ゲノム編集技術は、ゲノムの狙った場所のみを切って変異させます。それ以外のところは原則として変わらないので、品種として確立するのが早いのです。従来の品種改良であれば10年〜数十年かかっていたのが、ゲノム編集技術を用いれば2〜3年でできます。
なお、遺伝子組換えは、外から異なる種の遺伝子や人工遺伝子を細胞中に導入するもの。一方、ゲノム編集は、ゲノムの狙った場所を切るものなので、異なる技術です。 ゲノム編集にはいくつかの方法がありますが、そのうちの一つ、CRISPR/Cas9を開発した二人の女性科学者は2020年、ノーベル化学賞を受賞しました。
第1号のトマトが9月からオンライン販売
このゲノム編集技術を用いていち早く商品化されたのがトマトです。機能性成分ギャバを多く含みます。ギャバはアミノ酸の一種で、もともと、さまざまな野菜や穀物などに含まれており、多く食べることにより血圧上昇を抑える効果が期待されています。ギャバは、トマトの体内でグルタミン酸というごく一般的なアミノ酸から作られます。そのときに働く酵素の遺伝子のDNAをゲノム編集技術で切って変異させました。それにより、もとの品種のトマトの4〜5倍のギャバを含むようになりました。
開発したのは筑波大学の江面浩教授ら。筑波大学初のベンチャー企業サナテックシード(株)が種苗の生産や青果物の販売などを担います。2021年度春からまずは希望者に苗を無料配布して育ててもらい、9月からはトマトのオンライン販売が始まりました。
安全性を検討。「届出」と「審査」に分かれる
でも、安全性はどうなっているの? もちろん、技術の実用化にあたっては安全性が検討されました。①ヒトが食べる場合の食品としての安全性、②家畜や養殖魚等が食べる場合の飼料としての安全性、③ゲノム編集生物を栽培や飼育をする場合のほかの生物への影響……という三つの角度からです。具体的な食品について検討する前に、厚労省や農水省、環境省がそれぞれ、専門家の検討を踏まえ2019年に取扱要領をまとめています。
①②③で少し異なる部分もあるのですが、大筋で言えるのは、ゲノム編集技術によりゲノムの特定の場所を切り、あとは自然にお任せで変異させたタイプは、安全性審査は必要ない、ということ。従来の品種改良法でも、ゲノムを切る、という操作を行いますが国による安全性審査は行われていません。ゲノム編集食品のみ審査を要求するのは無理なのです。
一方、ゲノム編集技術によりゲノムの特定の場所を切り、その後に特定の塩基配列や遺伝子を導入する操作を行ったものはほとんどが「遺伝子組換え食品」に該当するとされ、安全性審査が行われることになりました。
ただし、これらを振り分けるため、ゲノム編集食品・飼料を開発した事業者などは、あらかじめ国へ事前相談を行い、「安全性審査が必要ない」と判断された場合にも国へ詳しいデータなどを届け出る仕組みとなりました。
届出というと、簡単な書類を出して終わり、というイメージですが、そうではなく、どの遺伝子を変異させたか、新たなアレルゲンや毒性物質ができるようになっていないかなど、かなり詳しく調べてデータを示さなければなりません。また、事前相談などのルールに従わない場合には、社名が公表され事実上、社会的制裁を受ける可能性があることも厚労省の通知などに明記されています。
現在登場しているゲノム編集トマト、マダイはどちらも、ゲノムの狙った場所を切っただけであとは自然にお任せのタイプなので、届出が行われました。ゲノムの狙った場所を切った後に特定の塩基配列や遺伝子を導入する「遺伝子組換え食品」に相当するタイプの品種改良は技術的に難しく、まだ実用化には至っていません。
次回は、ゲノム編集マダイについて詳しく解説し、表示ルールやどのような食品が研究開発されつつあるかなどお伝えします。
<参考文献>
農水省農林水産技術会議・ゲノム編集技術
https://www.affrc.maff.go.jp/docs/anzenka/genom_editting.htm
厚労省・ゲノム編集技術応用食品等 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/shokuhin/bio/genomed/index_00012.html
厚労省・ゲノム編集技術応用食品及び添加物の食品衛生上の取扱要領に基づき届出された食品及び添加物一覧 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/shokuhin/bio/genomed/newpage_00010.html
農水省・届出されたゲノム編集飼料及び飼料添加物一覧 https://www.maff.go.jp/j/syouan/tikusui/siryo/ge_todokede.html
農水省・ゲノム編集技術の利用により得られた生物の情報提供の手続 https://www.maff.go.jp/j/syouan/nouan/carta/tetuduki/nbt_tetuzuki.html#flow03
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松永和紀
科学ジャーナリスト。1963年生まれ。89年、京都大学大学院農学研究科修士課程修了(農芸化学専攻)。毎日新聞社に記者として10年間勤めたのち、フリーの科学ジャーナリストに。近著に『ゲノム編集食品が変える食の未来』(ウェッジ)など。2021年7月から内閣府食品安全委員会委員。記事は組織の見解を示すものではなく、個人の意見を基に書いています。