日々の生活のこと、治療のこと、仕事のこと、将来のこと・・・潰瘍性大腸炎とともに生きる患者さんの体験談を紹介します。
中1の冬から便に血液が付着し始め、中2になって粘血便や水様便を繰り返すように。検便を受けた消化器内科のクリニックに紹介された総合病院で潰瘍性大腸炎と診断された。高校時代までは症状が割と安定していたが、大学入学以降はストレスや疲れの影響か、悪化することが増え、現在も軽症から中等症の状態が続いている。今の治療目標はステロイドを使用しなくても寛解状態が長く続くこと。「病気でも自分らしく楽しく生きる!」をモットーに日々過ごしている。
中1のとき、便に血液が付着するようになったのが最初でした。当時は、親に血便を見られたくない、どんな反応をされるのかが怖いという思いがあり半年ほど誰にも相談することなくやり過ごしていました。ところが、翌年の夏に粘血便や水様便が続き、さすがにおかしいと近くの内科のクリニックを受診しました。そこでは、胃腸炎という診断で整腸剤と下痢止めが処方されましたが改善せず、その後すぐに近所に開院したばかりの消化器内科のクリニックを受診しました。症状を話すと「潰瘍性大腸炎の疑いあり」と言われ、検便をすることに。「悪い病気だったらどうしよう」という不安があったので、「やっとこの症状を診てもらえる」とホッとしたのを覚えています。
実は最初の内科と消化器内科のクリニックの受診は、親にはついて来てもらわずに一人で行きました。
後々聞いた話では、親はとても心配していたけど「ついて来てほしくない」と私が断固拒否したとのこと。親がそばにいると医師に正直に自分の症状などを話しにくかったのと、この時期特有の、親との距離をとりたいという複雑な気持ちもあったのかなと思います。
その後、消化器内科の紹介で受診した総合病院で潰瘍性大腸炎と診断され即入院。重度の貧血にもなっていました。
当時はインターネットが普及して間もない頃。自分で潰瘍性大腸炎について調べるツールもなく、治療薬の種類も限られている時代だったので、「難病」、「妊娠・出産で悪化する」、「大腸がんになるリスクがある」といった先生からの説明に、「この先長く生きられないかもしれない」と思いました。
とはいえ、1カ月半ほどの入院で症状は良くなり、お腹の症状が治まっていたので退院後は気持ちが上向きに。自宅のトイレで久しぶりに自分の普通便を見たときに感動したことを覚えています。
中学、高校と比較的症状は落ち着いていました。中学の給食では牛乳をジュースに、ヨーグルトをゼリーに替えてもらったくらいで、特別な配慮をしてもらった記憶はあまりありません。
中学のバレーボール部ではレギュラーで副部長も務め、高校では全国大会に出場するレベルの文化部で忙しくも楽しい学校生活を送りました。あまりの忙しさに、症状が悪化し、注腸剤を使用していた時期もあります。仲の良い友だちには持病があることは伝えていましたが、病名や具体的な症状を伝えることはありませんでした。
中学、高校とやりたいことをやり通せたのは、「自分は長くは生きられないのではないか」という思いから「悔いなく何でもやりたい」という私の気持ちを尊重してくれた親のお陰でもあります。
きっと心配だったと思うのですが、私の行動にストップをかけることなく見守ってくれていました。それは今も同じです。両親には心から感謝しています。
症状が悪化することが増えたのは大学入学以降です。一人暮らしを始め、ファストフードを食べたり、サークルの飲み会に参加したりと食生活が不摂生になりがちでした。授業や実習だけでもハードでしたが、週4日はバレーボール部の活動があり、ボランティアのサークルにも入っていたり、バイトもしていたので、忙し過ぎましたね。今まで使っていた薬では症状が治まらず、先生の提案でステロイドの服用を始めたのがこの頃です。
さらに就職や転職と環境が変わるたびに仕事がハードになったり、人間関係のストレスを抱えたりすることが多くなり、再燃を繰り返していました。
なかなか炎症が抑えられないときに当時新薬だった生物学的製剤を先生から提案されました。妊娠に影響しないものを選んで使い始めると、軽症までもっていくことができ、途中副作用の影響で種類は変わりましたが、今も生物学的製剤とステロイドを併用しています。
20代半ばで結婚。2年後に出産。妊娠と治療の両立については不安はありませんでした。なぜなら、先生は以前から「今使っている薬は妊娠しても大丈夫な薬だよ」と伝えてくれていたからです。
今まで進学や引っ越しなどで何度か先生は変わっているけれど、どの先生も親身になって私の話を聞いてくださり、先生とのコミュニケーションで悩んだことはありません。症状が悪化したり、検査の結果によって治療変更を検討したりするときには、薬の選択肢をいくつか提示され、薬の剤型や投薬方法から私の体質や生活スタイルに合ったタイプを先生と一緒に相談しながら決めてきました。
少し前の検査では、腸の状態が悪くなっていたので、ステロイドの座薬を追加して少し様子をみてみようという話をしていました。そして最近大腸カメラをして、かなり改善されていることが確認できたので、このまま今の薬を継続しながら、いずれはステロイドの使用をやめても寛解を長く維持できることを目標に治療を続けています。
今の先生とは旅行先やおいしいお店のことなど、プライベートな話もできる関係です。先生からも「あそこのお店がおいしかったよ」、「どこどこに行ってきたよ」と話してくれるので、患者の私からも話しやすいです。
治療のことも不安があれば質問できますし、「治療薬を変更して合わなければまた別のものを先生と相談して試していけばいい」と思えるので、治療の先行きに対する不安もあまりありません。
潰瘍性大腸炎は症状が生活の質に直結する病気だからこそ、主治医とはちょっとした体調の変化や不安なこと、治療以外の話も気軽にできることが大切だと思います。
体調が悪いときは母や夫に家事を手伝ってもらうこともありますが、体調が悪くなったときのために、作り置きや冷凍食品などをストックしておくようにしています。
食事は和食が多いのですが、たまに夫や娘のために揚げ物や肉類をメニューに加えることもあります。
近々2泊以上の家族旅行の予定があるのですが、症状の悪化や、トイレのことを考えると実はあまり気が進みません。 行ってしまえば楽しいのですが、現地でのことを考えると億劫になってしまって前向きになれないのです。ただ、自分のせいで行けないのは、家族にも我慢させてしまうことになるので悩んでいます。
今までを振り返ると、中学生のときから病気の身体で生きてきて、我慢や諦めと共に過ごしてきたなと思っています。学生時代は症状があっても我慢して友人関係や人づき合いのためにそれを悟られないようにし、就職してからも、本来なら普通に働いてキャリアを積みたかったのですが、我慢や諦めを受け入れてきました。
ただ、最近は病気の自分を受け入れ、できる範囲で同じ病気の人の話を聞いたり、交流をしたりするなどの新たな活動を開始したことで、今の仕事にも繋がり、病気が縁となって出会いや気づきを得ることができています。
これからも「人生面白いよね」と思って生きていけたらなと思います。そして最期には“楽しくて面白い人生だった”と言えたらいいなと思っています。
お子さんをそばで見ているからこそ親御さんは、「何かできることはないか」、「良くなる方法はないか」、「悪化しないように無理はしないでほしい」と様々な心配や不安を感じられていることと思います。
でも病と闘い、一番苦しんでいるのはお子さん自身なので、まずは本人のやりたいことや、言葉に耳を傾けてあげてほしいです。そして少し無理をしているように見えても、お子さんが“楽しそうならそのまま見守り、苦しそうなら手を差し伸べる”ぐらいの距離感で関わっていただくのが良いのではないかと思っています。
自分自身、病気があっても普通の学生と変わらぬ生活をさせてもらえたことで、後悔することなく「楽しい学生生活だった」と言える今があります。
親御さんも一人で悩まず、思いを共有できる場を利用して、お子さんの頑張りを認めながらおおらかな気持ちでお子さんの人生を見守っていただけたらと思います。