
麦ご飯についてアドバイスを頂いた、
東京慈恵会医科大学附属病院
栄養部の方々
左から、
島本友希子さん、濱裕宣課長、吉田久子主任、
小川篤美主任
明治時代、脚気(かっけ)は原因不明の重篤な病として流行していました。脚気とは心不全と末しょう神経障害をきたす病気。毎年1万人単位の方が、脚気によって命を落としていました。
この頃はまだ、ビタミンB1(チアミン)が発見されていない時代。つまり、「ビタミンB1の欠乏症が脚気の原因」という事実が判明しておらず、多くの医師が「脚気は伝染病によるもの」と考えていたのです。
そのような中、食べ物の栄養バランスに着目したのが、海軍軍医総監であった高木兼寛先生。現在の東京慈恵会医科大学の源流を築いた方です。
「ビヨウシヤ 1ニンモナシ アンシンアレ」(病死者、1人もなし、安心あれ)」
1884年、練習航海中の軍艦「筑波」から届いた電文です。
高木先生は、明治天皇の支援を得て、海軍の兵食に麦ご飯を取り入れました。その結果、脚気は激減。これにより多くの命が救われ、麦ご飯の栄養バランスが見直されるきっかけとなりました。
現在の東京慈恵会医科大学附属病院では、病院内の昼食を全て麦ご飯で提供しています。患者の方々に好評で、「自宅の食事も麦ご飯に変えた」という方も少なくないそうです。
食生活が大きく変化し、生活習慣病が拡大し続ける中、食のあり方はますます重要になることでしょう。栄養バランスに優れた麦ご飯への「回帰」は、現代人の食のあり方のヒントになるかもしれません。
※1 厚生労働省「日本人の食事摂取基準(2010年版)」
麦ご飯についてアドバイスを頂いた、
東京慈恵会医科大学附属病院
栄養部の方々
左から、
島本友希子さん、濱裕宣課長、吉田久子主任、
小川篤美主任
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